GAME THEORY の歴史

1986
・4月、PC−VAN開局。当初は無料の実験サービスだったそうである。 
 アクセスポイントは全国45ヶ所、通信速度は300/1200bpsと 
 現在のインターネット環境から見ると何だそりゃ!?の世界だが、当時と 
 しては先端の技術……だったらしい。

・11月、PC−VANの第15番目のSIGとして、「SIG/G」(G 
 は「ゲーム」の略)がPC−VANに開設される。名前にSIGと入って 
 いるのは「馬から落馬した」みたいで格好悪いが、まあそういうものだっ 
 たのだろう。初代SIG−OPは「ダイチャン」氏。
                                   .

1987
・3月、PC−VANが有料化される。この時、「SIG/G」から「GA 
 ME THEORY」に名称が変更された。
 社会科学(主に経済学)を論ずるツールである“GAME THEORY”
(ゲーム理論)の名前を、パソコンゲームSIGに付けた人は誰なのだろう 
 か? 面白いセンスだとは思うが、何のSIGだか分かり難くしてしまっ 
 たとも言える。

・10月、2代目SIG−OPにS.Kimura氏が就任。
                                   .

1988
・4月、RAMLISTの作成開始。RAMLISTとは、ボード別に誰が 
 どれくらい書き込みをしたかの記録で、ここからの記録はそれに基づいて 
 作成されたものである。

・当時のボード構成は、

   #1:アドベンチャー
   #2:ロールプレイング
   #3:その他
   #4:自己紹介
   #5:イベントホール

 の5つ。#1〜3は、それぞれパソコンゲームの話題、#5「イベントホ 
 ール」は、ボード上でTRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)
 をする場となっていた。
 なぜパソコンゲームとテーブルトークRPGの場が同じだったのかはよく 
 わからないが、たぶんプレイヤー層が近かったためではないかと推測され 
 る。
 「自己紹介」ボードは、当初は本当に自己紹介だけだったのが、じきに雑 
 談の場となり、書き込み数が増えるようになった。

・当時話題となったゲームは「ファンタジー3」「ソーサリアン」「ラスト 
 ハルマゲドン」「Ys2」など。

・この頃の書き込み数は1000/月、アクセス数は2000〜3000/ 
 月程度。ROMの数は、まだかなり少なかったようである。
                                   .

1989
・1988年よりRAMLISTを作成していたHideo氏が、この年3 
 月にSUB−OPに就任する。

・ボード名称が一部変更。#3「その他」が「シミュレーション/他のゲー 
 ム」に、#4「自己紹介」が「自己紹介/談話室」となる。

・当時話題となったゲームは「ウィザードりィ4」「マイト&マジック2」 
「Ys3」「ローグ・アライアンス」等。凶悪な難度を誇る「ウィザードリ 
 ィ4」は、かなりの長い間話題が続いた模様。

・書き込み数はやや減って500〜1000/月、アクセス数はやや増えて 
 3000〜5000/月に。
                                   .

1990
・9月にボード改正が行われた。#3ボードが「アーケード/シミュレーシ
 ョン他」と改称される。また、TRPGボードが#5「イベントホール」
 から#5「プレイングボード挑戦編」「プレイングボード上級編」の2つ
 に分離。

・当時話題となったゲームは、「ミスティブルー」「英雄伝説」「エメラル
 ドドラゴン」「ウィザードリィ5」など。

・書き込み数はさらに減少し、5月には200を切ってしまう状況。当時の 
 パソコンゲームの力のなさが感じられる。ボード改正によりTRPGの書 
 き込みが増え、やや持ち直しては来るのだが……。
 アクセス数も、3000/月程度をふらふら。
                                   .

1991
・プレイングボード常連のYU!氏がSUB−OPに就任。プレイングボー
 ドの管理を任される事となる。

・当時話題となったゲームは「ダイナソア」「アルシャーク」「ブランディ
 ッシュ」等。

・RPGボードの攻略による盛り上がり、談話室・プレイングボードの活発
 化により、書き込み数は再び1000/月まで盛り返す。アクセス数も、
 6000/月近くまでUP!
                                   .

1992
・当時話題となったパソコンゲームは「ウィザードリィ6(BCF)」「英
 雄伝説2」「ぽっぷるメイル」「天下統一2」「三国志3」「大戦略4」
 など。これがダントツで盛り上がる!というのはなかった模様。

・18禁ゲームの話題はこのあたりから。「ドラゴンナイト1」「アリスの
 館2」「きゃんきゃんバニープルミエール」「DALK」「同級生」など、
 聞いた事があるようなタイトルがちらほらと……。

・書き込み数・アクセス数は昨年と同程度を継続してキープ。
                                   .

1993
・#7ボード「インフォメーション」が新設される。

・当時話題となったパソコンゲームは「ブランディッシュ2」「プリンセス
 メーカー2」、この2つがダントツの盛り上がりとなった。他のゲームの
 話題もそれなりにあったようだが、この2つには敵わなかった模様。

・GPX1が開催される。初回だけあって、規模はまだまだ小さい。何しろ、
 複数票が入ったゲームが、ベスト部門ですら4作品のみ……。この後の発
 展を、誰がこの時点で予想しただろうか?
 ちなみに、ベストゲームを受賞したのは「プリンセスメーカー2」。ベス
 トキャラクターが「きゃんきゃんバニー」の「スワティ」だった。

・この年は、やや書き込み数は減ったものの(500/月)、アクセス数は
 昨年と同程度(6000/月)を継続してキープ。
                                   .

1994
・1月、長年(6年ちょっと)SIG−OPを勤めたS.Kimura氏が
 辞任。3代目SIG−OPには、UMA(きいとん)氏が就任する事にな
 った。SUB−OPは、くぃねっく☆氏、北園鈴夢氏がそれぞれ担当。

・ボード改正も行われ、

   #1:アドベンチャー
   #2:ロールプレイング
   #3:シミュレーション
   #4:自己紹介
   #5:プレイングボード
   #6:イベントホール
   #7:インフォメーション

 という構成になる。これ以降、(名前が一部変わるものの)構成はこのま
 までずっと運営される事となった。

・当時話題となったゲームは、一般作で「ブランディッシュ3」「ルナティ
 ックドーン」「卒業2」、18禁で「こうかん日記」「野々村病院の人々」
 など。これが一押し!的ゲームはなかった模様。

・場所を#6(イベントホール)に変え、GPX2が開催される。ベストゲ
 ームを受賞したのは“DESIRE”(シーズウェア)。

・アクセス数は、月あたり6000台から7000台へ。
                                   .

1995
・この年の目玉は、何といっても「同級生2」。#1ボード(アドベンチャ
 ー)の書き込み数が、発売された2月だけで360件。1994年の#1
 の書き込み数が1年間全部で216件であった事を考えると、その異常さ
 がわかる。これで、GAME THEORYにすっかりエロゲーSIGと
 してのイメージが付いてしまった……のかもしれない。

・黒龍皇(L5)氏がSUB−OPに就任。

・「ゲームセオリー常連有志でゲームを作ろう!」とのかけ声で「ゲーム作
 成計画」が#6「イベントホール」で開催される。まずまず盛り上がるも
 のの、諸事情により中断する事になってしまう……集団作業の難しさを痛
 感させられる一件であった。

・3月には総勢15人が参加する大規模OFF、6月にはむさい男共がケー
 キ食い放題の店でケーキを食いまくる「甘党OFF」、夏コミ・冬コミに
 合わせた「コミケOFF」など、OFFがさかんに開催される。

・この年「同級生2」の他に話題となったゲームというと、一般作で「メル
 クリウス・プリティ」「ブランディッシュ3」「ルナティックドーン2」
「パワードール2」など。18禁では「闘神都市2」「SEEK」「遺作」
「猟奇の檻」他多数。

・GPX3が開催される。予想通り、「同級生2」の圧勝。

・書き込み数は平均600/月程度のままながら、アクセス数は最大1万2
 千/月まで跳ね上がる。まさしく同級生2効果といって良いだろう。

                                   .

1996
・UMA氏がSIG−OPを辞任、選挙を経て後任として私(いかすけ)が
 4代目SIG−OPとなる。SUB−OPは、北園鈴夢氏・黒龍皇氏が留
 任、星騎士氏が新任となった。

・「下級生」発売。昨年の「同級生2」と比べると規模は落ちるものの、な
 かなかの盛り上がりを示す。この頃が、エルフの絶頂期と言えるか……?

・TRPGボードは年々人が減り閑散に。一時、閉鎖の話まで立ち上がる。
 しかし、年末になって再び人が集まり、セッションが開かれるように。

・OFFはこの年も盛んに開かれる。ほぼ1ヶ月に1回の頻度?

・この年話題となったゲームは、一般作で「英雄伝説4」「ルナティックド
 ーン2」「アローンインザダーク2」「ブランディッシュVT」など。
 18禁で「下級生」以外では、「EVE」「Only You」「カスタ
 ムメイト3」「殻の中の小鳥」「痕」「YU−NO」「同窓会」「鬼畜王
 ランス」など。

・夏の特別イベントとして、ベスト/ワーストソフトハウスを選ぶ「GPX
 3.1」が開催される。

・GPX4が開催される。ベストゲーム部門では大賞が「EVE」、2位が
「痕」、3位が「下級生」となったが、いずれも僅差。98x1エロゲーの
 最高の時代だったと言えようか。

・アクセス数が、6月にはSIG最高の1万6千/月を記録する。書き込み
 内容も一番充実していた時期といって良いだろう。
                                   .

1997
・「自己紹介/談話室」の書き込みが爆発状態に。やや悪ノリが過ぎる書き
 込みも見られたが、後半では古参常連による注意などもあり、沈静化。

・TRPGは昨年末よりだんだん盛り上がるようになり、一時は3件ものセ
 ッションが開かれるようになる。

・昨年に引き続き、「GPX4.1」が開催される。今回はベスト/ワース
 トソフトハウスだけでなく、「パソゲー雑誌部門」も開かれた。

・話題になったゲームは、「猟奇の檻2」「瑠璃色の雪」「雛鳥の囀」「P
 iaキャロットへようこそ!2」“To Heart”など。一部クソゲ
 ーの話題も、なぜか熱く語られた。

・GPX5が開催される。大賞となったのは“To Heart”。

・「同級生2」以降、ずっと1万/月以上を保っていたアクセス数が、じわ
 じわとダウン。11月には1万/月を切ってしまう。年間で見て、書き込
 み量的には増えているのだが……。
 パソコン通信からインターネットへの移行が、じわじわ進み始めた時期と
 言えるだろう。
                                   .

1998
・Windows98も発売され、すっかり98x1は過去の機種に。
 98x1最後のゲーム「ラブ・エスカレーター」は、賛否両論のシナリオ
 ゆえか、まずまずの盛り上がりに。

・BIGLOBE内に、SIGホームページを開設。

・皆でクソゲーを持ち寄ってプレイする「クソゲーOFF」が開催される。
 クソゲーの当たり年(?)だったせいか、大きく盛り上がるOFFとなっ
 た。この成果はGPX6のワースト部門へと……。

・話題となったゲームは「イースエターナル」「アトラク=ナクア」「雪色
 のカルテ」「とらいあんぐるハート」“luv wave”“With 
 You”等だが、いずれも低調。「同級生2」「下級生」の頃の盛り上が
 りはいずこへと。

・GPX6が開催される。大賞となったのは“ONE 〜輝く季節へ〜”。

・アクセス数はじわじわと低下していき、12月には5千/月を割る。本格
 的にインターネットへの移行が進んできた時期といったところか。
                                   .

1999
・昨年に引き続き、SIG活動はどんどん低調に……。「パワードール3」
「リトルウィッチ パルフェ」「モナークモナーク」「こみっくパーティー」
「ザ・ガッツ!」などの話題は出るものの、ほとんど継続せず。
「自己紹介/談話室」も、年間通して書き込み数が400ちょいまで減少。
 最盛期の1ヶ月分の数もない。

・GPX7が開催される。大賞は“Kanon”。
                                   .

2000
・7月、PC−VANサービスの2001年1月終了が発表される。
 閉鎖に伴い、SIG−OP(いかすけ)辞任表明。web上でSIGの継
 続を求める後任OPを募集するが、立候補者なし。SIG閉鎖が決定する。
                                   .

2001
・PC−VANサービス終了。SIG閉鎖(予定)。
                                   .